金銀山敷内稼仕方之図
(きんぎんざんしきないかせぎしかたのず)
坑道(敷内)の採掘、水替え作業、選別、冶金等が彩色画で描かれいます。寛政12年、狩野融川( かのうゆうせん 1778-1815)の作と言われています。融川は浜町狩野家四代目狩野閑川の子、寛政4年(1792)父の跡をつぎ,奥絵師となりました。文化5年法眼(ほうげん)。自身の手がけた朝鮮への贈呈屏風に対し,老中が不満をしめしたのにいかり,文化12年3月19日下城の途中で切腹したといわれています。
原図サイズ: 45cm x 1035cm