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日本国憲法等
国立公文書館では、新・旧憲法、詔書などを所蔵しています。
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大日本帝国憲法
だいにほんていこくけんぽう
明治22(1889)年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。黒田清隆内閣の各国務大臣と伊藤博文枢密院議長が署名しています。
この憲法のもとでは、天皇が国の元首として統治権を総攬(そうらん)しましたが、法律の範囲内で、国民は、居住・移転や信教の自由、言論・出版・集会・結社の自由、信書の秘密、私有財産の保護などが認められました。また、帝国議会が設けられ、法律案・予算案の審議権(協賛権)が与えられました。司法権は行政権から独立し、三権分立が定められました。(関連資料を読む) -
終戦の詔書
しゅうせんのしょうしょ
昭和20(1945)年8月14日の御前会議で、ポツダム宣言の受諾が決定され、同宣言受諾に関する詔書が発布されました。鈴木貫太郎内閣の各国務大臣が署名しています。翌15日正午、いわゆる「玉音放送」が行なわれたのち、「内閣告諭」が読み上げられました。「聖断既に下る」として、国を挙げて「国威を恢弘(かいこう)」する決意を明らかにするとともに、「内争」・「軽挙妄動」を戒めました。「終戦の詔書」の原案と内閣告諭案は、公文類集第69編に収められています。(関連資料を読む)
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日本国憲法
にほんこくけんぽう
日本国憲法の制定は、大日本帝国憲法の改正手続に従って行われました。昭和21(1946)年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布されました。公布書には、第1次吉田茂内閣の各大臣が副署しています。
天皇を国の象徴とし、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本的原則とするとともに、三権分立を徹底した日本国憲法は、昭和22(1947)年5月3日から施行されました。(関連資料を読む) -
国憲起草の詔
こっけんきそうのみことのり
明治9年(1876年)9月、前年に設置された元老院に対し、国憲起草の詔が発せられました。これは比較的早い時期における明治政府の憲法制定に関する意思を示すもので、明治7年(1874年)の民撰議院設立建白後、自由民権運動の機運が盛り上がろうとする時期でした。元老院は、国憲取調委員を置き、明治13年(1880年)には、「日本国憲按」と題する憲法草案を奏上しましたが、この案は、我が国の国体に十分適合するものではないとして、成案となるに至りませんでした。明治14年(1881年)の国会開設の勅諭が発せられた後、政府として、憲法制定の本格的準備を進めることとなります。
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国会開設之勅諭
こっかいかいせつのちょくゆ
「明治14年の政変」で発せられた勅諭です。明治23年を期して国会を開設すること、国会の組織・権限については、政府の官僚の立案を天皇が親裁して公布すること等を明らかにしました。
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漸次立憲政体樹立ノ詔勅
ぜんじりっけんせいたいじゅりつのしょうちょく
明治8年(1875)4月に発せられた詔勅です。立法機関として元老院、司法機関として大審院、立法機関の下院を想定して地方官会議を設置し、また徐々に立憲政体に移行していくことを示しました。
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民撰議院設立建白書
みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ
明治6(1873)年、板垣退助等8名が政府に提出した国会開設の建白書です。 明治6年末、征韓論に破れて下野した元参議板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣等8名は、翌7年1月に政府の左院宛に民撰議院設立建白書を提出しました。有司専制を廃し、「民撰議院」を設立し速やかに天下の公議を張るべきと主張しています。この建白書は新聞に掲載され、議院設立の時期などをめぐり論争が展開され、後の自由民権運動に大きな影響を与えました。