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レザノフ長崎来航
江戸末期の旗本宮崎成身が、さまざまな資料や情報を記録しあるいは綴じ込んだ『視聴草』(全176冊)には、興味深い図版や美しい彩色図が多数含まれています。以下にその一部をご紹介します。(関連資料を読む)
幕府の外交資料集である『通航一覧』の編纂事業にも従事した宮崎成身。『視聴草』にも当然「異国船来航」の詳細な記事と図が収録されています。鎖国政策によってオランダ以外の西洋諸国に対して国を閉ざしていた幕府に、開国と通商をまず求めて来たのは、南下政策によって貿易の拡大と領土拡張を図っていたロシアでした。寛政4年(1792)に通商を促す国書を持参したラクスマン(第1回遣日使節)が根室に来航。幕府は長崎以外に異国船の入港は認められないとして、長崎入港の許可書(信牌)を与えただけで、ロシアの国書を受け取りませんでした。それから12年後の文化元年(1804)の9月、ラクスマンに交付した信牌の写しとロシア皇帝アレクサンドル1世の親書をたずさえてレザーノフ(第2回遣日使節)が、長崎に来航しました。レザーノフは翌年3月まで滞在して交渉を求めましたが、幕府は親書を受理することなくロシア船に退去を命じました。
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