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国立公文書館デジタルアーカイブ

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幼女遺筆(手紙)(ようじょいひつ(てがみ))

文政5年(1822)、江戸で6歳(数え年 満年齢ならようやく五歳になったばかり)の幼女の死が話題になりました。幼女の名は露(つゆ)。因幡(いなば)鳥取藩の支藩の前藩主で、隠居して冠山と号していた池田定常の息女として生まれた露が、この年の11月27日に、疱瘡(天然痘)のため、その短い生涯を閉じたのでした。法名は浄観院玉露如泡童女。彼女の死が話題になった理由のひとつは、当代一流の文化人でもあった父親の池田冠山のもとに、友人知人の大名や学者たちから露の死を悼む和歌や詩文が1600点ももたらされたから。それにもまして、露の没後発見された彼女の遺書めいた手紙や和歌や句が父親によって実物そのままに木版刷りされ、人びとに配られたことで、露の早すぎる死と早熟な才能に対する哀惜の情がいや増したからでした。『視聴草』にはこの刷り物が綴じられていて、露姫の遺筆にふれることができます。(関連資料を読む)
「おとうさま」(父冠山にあてた手紙)は、「おいとだからごしゆあるな つゆがおねがい申ます めでたくかしく」と読めます。最愛の父が「ごしゆ」(お酒)を飲みすぎて健康を害さないよう、露は最後のお願いをしたのでしょう。ちなみに彼女がみずからを「まつだいらつゆ」と称しているのは、池田家が松平姓を許されていたからで、池田冠山も松平冠山と名乗る場合がありました。