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太政官新築図
明治10年(1877)11月、工部卿伊藤博文が太政大臣三条実美に提出した太政官庁舎新築の図面です。太政官は、「天下の権力総てこれを太政官に帰す」(政体書)と規定された、当時の日本の最高官庁です。明治2年(1869)、明治天皇東京滞在中、太政官は東京に移転することとされ、皇城内に置かれます。明治5年(1872)3月に西の丸下に庁舎を造営したものの、翌6年(1873)5月5日、皇城の火災により、多くの公文書類もろとも、太政官庁舎は焼失してしまいました。即日、赤坂離宮が仮皇居と定められましたが、太政官については、馬場先門内の旧教部省庁舎を活用することとなり、同庁舎に太政官代が設置されました。しかしながら、「万機を親裁」する天皇のお住まいと太政官庁舎との間に距離があるのは不都合であるとして、明治10年(1877)8月、太政官を赤坂仮皇居内に移転、翌11年(1878)6月、木造西洋式2階建ての太政官庁舎が仮皇居内に新築されました。内閣制度発足の明治18年(1885)12月までは太政官庁舎として、発足後明治22年(1889)1月まで内閣庁舎として使用されました。 「公文附属の図」は、本来「公文録」(太政官において授受した公文書を年月別・各省庁別に編集したもの)などに収録されるべきものであるが、形状が「公文録」と異なるため、別に整理したもの。平成10年「公文録」とともに国の重要文化財に指定されました。