常陸国(元禄) ひたちのくに(げんろく)
石高の記載のあとに通常ある作成を担当した者の記載がありません。筑波山には、本殿と樹木が詳細に描かれています。
原図サイズ:東西405cmx 南北550cm。
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下総国(元禄) しもうさのくに(げんろく)
石高の記載の最後に書かれた氏名から絵図の作成に関宿藩(牧野備前守)と古河藩(松平伊豆守)が担当したことが判ります。新田開発が進み、椿海と呼ばれた湖が干拓され姿を消しています。
原図サイズ:東西501cmx 南北391cm。
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近江国(元禄) おうみのくに(げんろく)
元禄図の模写本です。石高の記載の最後に書かれた氏名から絵図の作成に彦根藩(井伊掃部頭)・膳所藩(本多隠岐守)・水口藩(鳥居播磨守)があたったことが判ります。比叡山には、多くの寺社が描かれています。
原図サイズ:東西343cmx 南北516cm。
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丹波国(元禄) たんばのくに(げんろく)
石高の記載の最後に書かれた氏名から絵図の作成に福知山藩(朽木信濃守)・園部藩(小出伊勢守)・柏原藩(織田山城守)が担当したことが判ります。原図サイズ:東西399cm×南北311cm
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大和国(元禄) やまとのくに(げんろく)
元禄国絵図の模写本です。石高の記載の最後に書かれた氏名から、絵図の作成に郡山藩(本多能登守)、高取藩(植村右衛門佐)があたっていたことがわかります。
原図サイズ:東西245cmx 南北442cm。
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河内国(元禄) かわちのくに(げんろく)
元禄国絵図の模写本です。石高の後に記載されている名前は、それぞれ寺社奉行・大目付・町奉行・勘定奉行の職にあった者です。宝永元年(1704)の新大和川開通前の状況を示しています。
原図サイズ:東西137cmx 南北295cm。
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和泉国(元禄) いずみのくに(げんろく)
元禄国絵図の模写本です。石高の記載の最後に書かれた氏名から、絵図の作成に岸和田藩(岡部美濃守)があたっていたことが判ります。
原図サイズ:東西110cm x南北240cm。
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摂津国(元禄) せっつのくに(げんろく)
元禄国絵図の模写本です。石高の記載の最後に書かれた氏名から絵図の作成に尼崎藩(青山播磨守)・高槻藩(長井豊熊)・三田藩(九鬼大和守)があたっていたことが判ります。現在の天保山付近の淀川河口には広く干潟が広がっています。
原図サイズ:東西274cmx 南北246cm。
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播磨国(元禄) はりまのくに(げんろく)
元禄図の模写本です。当初浅野家、本多家、脇坂家、松平家の4家に命じられた作図ですが、赤穂事件により、浅野家が改易にあったことから、他の三藩からの提出となりました。原図サイズ:東西374cm×南北310cm
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日向国(元禄) ひゅうがのくに(げんろく)
地図の裏面には、同図の作成の経緯が記されおり、薩摩藩御用絵師坂元勘兵衛によって描かれたことを知ることができます。
原図サイズ:東西423cm x 南北726cm。
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薩摩国(元禄) さつまのくに(げんろく)
石高の記載の最後に書かれた氏名から薩摩藩(松平薩摩守)が絵図の作成にあったことが判ります。白四角内に書かれた「鹿児島之城」のよこに、島津氏の菩提寺、玉龍山福昌寺も記載されています。
原図サイズ:東西414cmx 南北781cm。
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