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小笠原島写真
「公文附属の図」は、本来、「公文録」(太政官において授受した公文書を年月別・各省庁別に編集したもの。)などに収録されるべきものであるが,形状が「公文録」と異なるため,別に整理したもの。平成10年に国の重要文化財に指定されました。
明治9(1876)年2月、内務省から太政官に提出された小笠原島の写真です。幕末まではほとんど無人島に等しかった小笠原諸島は、文政10(1827)年イギリス軍艦艦長による英国領の宣言、嘉永6(1853)年ペリーによる土地の一部の買収等があり、帰属についての争いが続きました。明治8(1875)年11月、外務、内務、大蔵、海軍4省の官員が同島に派遣され、在住の71名に同島の日本領を宣言します。翌9(1876)年に内務省所管とし、寺島外務卿から各国に統治を正式通告しましたが、日本の領有に異議は出されず、明治 13(1880)年には東京府に移管されました。主として父島を撮影したこれらの写真は、4省出張の際撮影されたものです。本写真の含まれる「公文附属の図」は、平成10年「公文録」とともに、国の重要文化財に指定されました。
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小笠原島写真
(おがさわらとうしゃしん) -
天覧候鱆ノ木
(てんらんそうろうたこのき) -
父島ノ内八ツ瀬川ノ景
(ちちじまのうちやつせがわのけい) -
父島ノ内旭山並奥村ヨリ眺望ノ景
(ちちじまのうちあさひやまならびにおくむらよりちょうぼうのけい) -
父島ノ内大村セームスチュクラーブ居宅
(ちちじまのうちおおむらせーむすちゅくらーぶきょたく) -
父島ノ内扇浦ノ海浜ニ於テ島民所有クノー船ノ景
(ちちじまのうちおうぎうらのかいひんにおいてとうみんしょゆうくのーせんのけい) -
父島ノ内大村海浜ヨリ湾口並須崎村眺望ノ景
(ちちじまのうちおおむらかいひんよりわんこうならびにすざきむらちょうぼうのけい) -
父島ノ内大村居住葡萄牙人ジョンブラボー居宅
(ちちじまのうちおおむらきょじゅうほるとがるじんじょんぶらぼーきょたく) -
父島ノ内清瀬海亀囲置場ノ景
(ちちじまのうちきよせうみがめかこいおきばのけい) -
父島ノ内旭山並奥村ヲ大村ヨリ眺望ノ景
(ちちじまのうちあさひやまなみおくむらをおおむらよりちょうぼうのけい) -
父島ノ内奥村ノ内先年着手ノ節取建シ漂流人死去ノ者碑
(ちちじまのうちおくむらのうちせんねんちゃくしゅのせつとりたてしひょうりゅうにんしきょのものいしぶみ) -
父島ノ内扇浦先年着手ノ節取建シ碑
(ちちじまのうちおうぎうらせんねんちゃくしゅのせつとりたてしいしぶみ) -
父島ノ内北袋沢八ツ瀬川ノ景
(ちちじまのうちきたふくろさわやつせがわのけい) -
父島ノ内奥村海浜
(ちちじまのうちおくむらかいひん) -
父島ノ内清瀬
(ちちじまのうちきよせ) -
父島ノ内洲崎村ノ海峡
(ちちじまのうちすざきむらのかいきょう) -
父島ノ内境浦畑地
(ちちじまのうちさかいうらはたち) -
父島ノ内洲崎村住人仏蘭西人サアーレヅワー居宅並畑地
(ちちじまのうちすざきむらじゅうにんふらんすじんさあーれづわーきょたくならびにはたち) -
父島ノ内清瀬海峡ヨリ奥村ノ方眺望ノ景
(ちちじまのうちきよせかいきょうよりおくむらのかたちょうぼうのけい) -
父島ノ内清瀬海浜ヨリ湾口眺望ノ景
(ちちじまのうちきよせかいひんよりわんこうちょうぼうのけい) -
父島ノ内二見港ニ明治丸並英国軍艦カルー号碇泊ノ景
(ちちじまのうちふたみみなとにめいじまるならびにえいこくぐんかんかるーごうていはくのけい) -
父島ノ内須崎村海浜ノ景
(ちちじまのうちすざきむらかいひんのけい) -
母島ノ内沖村海浜北ノ方ノ景
(ははじまのうちおきむらかいひんきたのかたのけい) -
母島ノ内沖村海浜南方ノ景
(ははじまのうちおきむらかいひんなんぽうのけい) -
母島ノ内沖村海亀遺甲並豚圏
(ははじまのうちおきむらうみがめいこうならびぶたかこい)